廃車買取専門店を吹田で始めたきっかけ

山本 剛

2014年07月29日 23:26

廃車買取専門店を吹田で始めたきっかけ

 前回から、私の自己紹介を兼ねて、車両輸出代行センターを始めたきっかけについて書いています。

さて、前回はオーストラリアの中古車事情について書きました。今日はドミニカ共和国について書きます。

 

大学を卒業後、一度は教員採用試験にチャレンジするも、不合格になり、宙ぶらりんの状態だった私に、

 幼馴染の親友が、「協力隊いかへんか?」と声をかけてくれたのです。

ちょうど、自分の将来について、途方に暮れていた時だったので、二つ返事で「チャレンジしてみるわ」と答えた記憶があります。

 そして、青年海外協力隊の試験に見事合格し、ドミニカ共和国に派遣されることになりました。

そこでも、また日本の中古車との出会いがありました。ドミニカ共和国はカリブ海に浮かぶ、日本からすれば、ほぼ地球の正反対側にある小さな島国です。

 こんなところに日本人が!?ではないですが、こんなところにも日本の中古車はありました。というか、ほとんどが日本車でした!

しかも、ドミニカは左ハンドルの国です。それなのに7割~8割は日本車なんです。

 やはりドミニカでも、日本車の信頼は絶大でした。ドミニカ人に「日本と言えば??」と質問すると、一番多い答えは「トヨタ」でしたね。

その次は「ジャッキーチェン」です。 「は!?」って感じなんですが、ドミニカ人にしてみれば、中国、日本、韓国は同じような国で、そのあたりの区

別は基本的に、あまりついていないのです。でも、なぜか、ヒュンダイとトヨタが別の国のメーカーだということは知っている。

 それ程、日本車の信頼は絶大だという事なのかもしれませんね。

このドミニカでの滞在が、本気で車の輸出を意識するようになった、最大のきっかけです。

 ちなみにドミニカの車も強烈に古いものばかりでした。日本では廃車になるような12、3年落ち程度の車でも、向こうでは新車と言えるぐらいピカ
ピカに見えます。

 ドミニカからすれば、そんな車を廃車してスクラップにするなんて、「なんてバチあたりな!!」と言われるほど、考えられないことだと思います。

そんな環境で2年間過ごしているうちに、自然と「日本では必要とされなくなった中古車を、途上国の人々に届けたい!!」という思いが、知らない間に根付いたいたのだと思います。

 すごくなが~くなりすぎたので、今日はこの辺にして、明日はこの続きを書いてみたいと思います。

「興味ね~よ」と言わず、是非明日も読んで下さい。

 アスタマニャーナ (また明日!)


 

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