2015年04月12日
吹田の中古車買取でナンバー1を目指す!道端の雑草から学ぶ雑草魂
元高校教諭、車業界元ど素人
そんなゼロの状況から始めた中古車買取業ですが、
試行錯誤でもがきながらも、なんとか軌道にのってきました。
先日、地元吹田から車をお引き取りして、ご自宅に送迎する際、
「元教師??なんで?
って最初は思ったけど、そこが逆に魅力なんじゃない!?もっともっとそれを売りにしたらいいよ!」
という言葉をいただきました。
言われた瞬間、頭にイナズマが落ちたような感覚に襲われました。
今まであまり声を大きくして言えなかった自分のプロフィールですが、普通じゃないという事が逆に売りになるかもしれない・・・
”お客さんの目線に立つ”ってよく言いますけど、
これって、簡単なようで本当に難しいことだなって最近思います。
こうやって、お客さんから言っていただけること、本当にありがたいですね。
自分じゃ、自分の姿はみれないですからね。
さて、今日のタイトルです。
迷いに迷ってきた私のこれまでの人生ですが、二十歳の頃からこれまで、変わらない思いがあります。
”生かされる人生でなく、生きる人生でありたい”という思いです。
二十歳までの人生を振り返ると、今思えばとても幸せな事ですが、豊かな安全な日本で、親に大切に育てられ、
何不自由なく育ってきました。
しかし、なんだか、ベルトコンベアーの上にのって、ただ大きい流れに身を寄せて流れているような気持を常に持ち続けていました。
大学生卒業という、ベルトコンベアーの終着点を前に、とてつもない不安に襲われた事を覚えています。
「どんな仕事をしたらいいんだろう・・・」
「自分のやりたい事ってなんだろう・・・」
「この先、何を目標に、何を楽しみにして生きていけばいいんだろうか・・・」
養殖の魚のように、常に餌を与えられ続け、自分から餌を探さなければ生きていけないという本能が退化していたのでしょう。
情けない話、当時の僕は社会に出るには、未熟すぎました。
人並みに、いろいろ悩み考えてみました。
ちょっとやりたいと思う事があっても、それを実現するのに、何もかもがハードルが高い、
「たとえお金にならなくても、人の役に立ちたい」と思っても、
困っている人すら見つけられない。役に立てる気がしない。 なんとか芽を出そうという気持ちはあっても、自分の頭の上はアスファルトで固められ、到底陽の目を見て、花を咲かせることなどできない。
なにもかもが完成している、日本で生活することに対する息苦しさも相当感じていました。
青年海外協力隊に参加したきっかけは、こんな思いからでした。
そして、何もかもが未完成で、ないものだらけの途上国の人々の暮らしを生で体験し、そこから人生に対する価値観が大きく変わっていきました。
アスファルトで踏み固められた地面であろうと、ひび割れにできた隙間があれば、花を咲かせられる。
大切なのは、”花を咲かせようとする意志” なんだと、途上国の人々に教わったような気がします。
さて、長く暑苦しいブログになりましたが、今日の写真はこれです↓
中環の”沢良宜”という交差点の近くで、信号待ちをしていた時に見かけた、雑草の花です。

ほんとうにわずかなコンクリートのひび割れの中から、芽を出し、ここまでの高さまで育って、立派な花を咲かせています。
すさまじい”生きる意志”を感じます。なんだか、とてつもないパワーをいただいたひと時でした。
そんなゼロの状況から始めた中古車買取業ですが、
試行錯誤でもがきながらも、なんとか軌道にのってきました。
先日、地元吹田から車をお引き取りして、ご自宅に送迎する際、
「元教師??なんで?
って最初は思ったけど、そこが逆に魅力なんじゃない!?もっともっとそれを売りにしたらいいよ!」
という言葉をいただきました。
言われた瞬間、頭にイナズマが落ちたような感覚に襲われました。
今まであまり声を大きくして言えなかった自分のプロフィールですが、普通じゃないという事が逆に売りになるかもしれない・・・
”お客さんの目線に立つ”ってよく言いますけど、
これって、簡単なようで本当に難しいことだなって最近思います。
こうやって、お客さんから言っていただけること、本当にありがたいですね。
自分じゃ、自分の姿はみれないですからね。
さて、今日のタイトルです。
迷いに迷ってきた私のこれまでの人生ですが、二十歳の頃からこれまで、変わらない思いがあります。
”生かされる人生でなく、生きる人生でありたい”という思いです。
二十歳までの人生を振り返ると、今思えばとても幸せな事ですが、豊かな安全な日本で、親に大切に育てられ、
何不自由なく育ってきました。
しかし、なんだか、ベルトコンベアーの上にのって、ただ大きい流れに身を寄せて流れているような気持を常に持ち続けていました。
大学生卒業という、ベルトコンベアーの終着点を前に、とてつもない不安に襲われた事を覚えています。
「どんな仕事をしたらいいんだろう・・・」
「自分のやりたい事ってなんだろう・・・」
「この先、何を目標に、何を楽しみにして生きていけばいいんだろうか・・・」
養殖の魚のように、常に餌を与えられ続け、自分から餌を探さなければ生きていけないという本能が退化していたのでしょう。
情けない話、当時の僕は社会に出るには、未熟すぎました。
人並みに、いろいろ悩み考えてみました。
ちょっとやりたいと思う事があっても、それを実現するのに、何もかもがハードルが高い、
「たとえお金にならなくても、人の役に立ちたい」と思っても、
困っている人すら見つけられない。役に立てる気がしない。 なんとか芽を出そうという気持ちはあっても、自分の頭の上はアスファルトで固められ、到底陽の目を見て、花を咲かせることなどできない。
なにもかもが完成している、日本で生活することに対する息苦しさも相当感じていました。
青年海外協力隊に参加したきっかけは、こんな思いからでした。
そして、何もかもが未完成で、ないものだらけの途上国の人々の暮らしを生で体験し、そこから人生に対する価値観が大きく変わっていきました。
アスファルトで踏み固められた地面であろうと、ひび割れにできた隙間があれば、花を咲かせられる。
大切なのは、”花を咲かせようとする意志” なんだと、途上国の人々に教わったような気がします。
さて、長く暑苦しいブログになりましたが、今日の写真はこれです↓
中環の”沢良宜”という交差点の近くで、信号待ちをしていた時に見かけた、雑草の花です。

ほんとうにわずかなコンクリートのひび割れの中から、芽を出し、ここまでの高さまで育って、立派な花を咲かせています。
すさまじい”生きる意志”を感じます。なんだか、とてつもないパワーをいただいたひと時でした。
Posted by 山本 剛 at 13:45